カルロと暮らした日々

14歳で旅立った家族カルロのことをぼちぼちと。

大変


土曜日にお邪魔した弟のお友達の奥さんは二人目を身篭っていたのですが、旦那さんの突然の
訃報で妊娠中毒症になってしまって緊急入院したんだそうです。
その時に友達のお父さん、つまりはお祖父ちゃんは「母子ともに危険でどちらも助からないかもしれない」と
宣告されたそうです。
でもそんな事言われても簡単に納得出来るはずもなく先生に何とか両方とも助けて欲しいと言ったそうです。
で、帝王切開で産まれた子がたったの900グラムしかなく、搬送先の病院には超未熟児を治療する施設がなく
三島市の病院から沼津市の病院に赤ちゃんだけ転院。
それからが大変だったそうです、お父さんは毎日、三島の病院と沼津の病院の往復、家にいるお母さんは
一歳になったばかりのお子さんの面倒とご自分のお母さんの面倒を見る日々だったそうです。
弟さんがいるのですが、弟さんも結婚が決まっていたそうだけど1年延期してもらったそうです。
弟さんは消防士なので勤務が不規則なのでお母さんは一歳の孫の面倒とお母さんの面倒と弟さんの食事などの
世話でてんてこ舞いだったそうです。
息子さんが亡くなった悲しみを感じる暇も無かったと仰ってました。
でもそうなんですよね。葬式はしなくちゃならないし、それが終わると役所への手続きがあって哀しんでる暇
なんて私も無かったです。
それで超未熟児で産まれた二人目のお子さんも当初は12週の入院と言われていたのですが、体重が順調に増えて
2000グラムになった8週目に無事に退院したそうです。奥さんの方も退院されてやっと日常が戻りつつあったと
思ったらお母さんの実のお母さんの癌が発覚して余命半年と宣告されたそうです。
でも病院で過ごすのは嫌だと言って10日ほど入院して、産まれた二人目のお子さんと一歳のお子さんの面倒を
見て一ヶ月後に他界されたそうです。
私、一連の話しを聞いてお子さんと奥さんを天国から弟のお友達が必死に守ったんだなって思って家に帰ってきて
泣けてしまいました。
そのお子さんたちも元気に育っていると聞いて安心しました。
またいつかお線香あげに行きたいと思いました。


ブログランキング・にほんブログ村へ