カルロと暮らした日々

14歳で旅立った家族カルロのことをぼちぼちと。

どうしてだろうか


どうしてカルロが逝ってしまったのか、自問自答してます。
今更原因がわかったところでどうなるものでも無いのですが、こうして考えてしまうのは仕方ないんですけど。
でも最終的に落ち着くのが「カルロは優しい子だから私に面倒掛けるのが嫌だった」ってことになるんです。
カルロが完全に寝たきりになったのは2月の中旬、連休あとくらいでした。
それまではおしっこの時やご飯の時は自力で立ち上がって(たまに駄目な時もありましたが)ました。
その時は食欲もあり、ダイエットの為にと用意した野菜と鶏肉中心のご飯を朝晩ちゃんと食べていました。
でも連休過ぎ位から急に立てなくなり、横になってる時間が多くなりました。
おしっこの際は私が立たせてあげて、腰の辺りを持っていてそれでやっとおしっこをしていた状態でした。
うんちは完全に横になってしていて、食事も食べたり、食べなかったりと言う具合になりました。
16日に病院に行って血液検査をしたら貧血になっていて、白血球が多いと言われたけど、エコー検査もレントゲンでも臓器に異常は無いようだと言われました。
食欲不振の直接の原因が見当たらないのでその時は今まで飲んでいた抗生物質とは別のものを処方されて
それを飲ませて様子見と言う事になりました。
私も弟も病院で検査してもらって貧血以外は異常が無いと言われてちょっとホッとしたのを今でも覚えています。
貧血が食欲不振の最大原因だったのか何なのか今となってはわかりませんが、これ以降カルロはどんどんと悪くなっていったんです。
少し食べては「もう要らない」とばかりに顔をそむける。
夜中に悲しそうに鳴く。
今まで全く無かったカルロの状態に私はある覚悟をこの時期にしてました。
ブログにも書きましたが、「カルロの残された時間が少ない」ことです。
こうして書くととても簡単に覚悟したように思われがちですが、ものすごく葛藤しました。
「病院に行けば治るはず」「今までだっていっぱい手術したけど全部勝って来た。だから大丈夫」とか「でも…やっぱりもう駄目かも」とか…とにかく眠れないほど葛藤しました。
でも私の淡い期待、治ってほしいと言う期待は「期待」のままで終わりました。
カルロの状態が日一日と悪くなるんです。
亡くなる二日前は何も食べてくれませんでした。
好きだったバナナや焼き芋を口元に持って行っても顔をそむけて「食べたくない」と言ってるようでした。
もしかしたら喉が乾いてるのかもと思い、器にいつも飲んでいるスポーツドリンクを入れてカルロを起こして
飲ませようとしてもやっぱり飲んではくれませんでした。
まるで食べることを拒否してるかのような姿でした。
そして22日を迎えたわけです。
思えばカルロが悪くなっていったのは寝たきりになってからなんです。
それまでは自力で立っていたけど、それすら出来なくなって何かこう張り詰めたものがプツンと切れたように弱っていきました。
今まで出来たことが出来なくなってストレスを感じていたみたいでした…。
カルロは大人しい優しい子でしたが、プライド(こう書くと語弊がありますが)の高いところがあって私や弟や母に
心配させるのを嫌がる子だったんです。
だから今まで手術だけで7回経験してますが、どれも術後はおしっこやうんちは自力で歩いて済ませに行ってました。
ご飯も完食してたし、薬も残さず飲んでました。
そんな手のかからない子が寝たきりで私の介助を受けることになってきっと申し訳ないと思っていたんでしょう。
金曜日の朝にバギーに乗せて病院に行く時もいつもは吠えたこと無いのにバギーの中で吠えていたんです。
病院の待合室でもバギーの中でやっぱり吠えていました。
こんなことは初めてでした。
今にして思うと私と弟に最後の訴えをしていたんでしょうね。
もっとはっきり言うと別れの挨拶をしていたように思えます。
ワガママをほとんど言わなかったカルロの最初で最後のワガママがあの日、虹の橋に旅立つと言うことでした。
食べ物を受け入れなくなっていたのも食べさせてもらうと言うことが嫌だったんでしょうね。
最後の最後まで優しい手のかからない良い子でした。
ちょっと微笑ましいと思ったのが、危篤になって病院に駆けつけた時に横たわるカルロはちゃんとうんちを済ませていた事です。
きっとあのまま虹の橋に行くことになったら(実際行ったのですが)いつもうんちを片付けてくれていた私が傍にいないことが
わかっていたのでこっちで済ませて行ったんでしょう。なんとも用意周到な子だと少し笑ってしまいました。
おしっこも先生にカテーテルで抜いてもらったのでスッキリしていたし。