カルロと暮らした日々

14歳で旅立った家族カルロのことをぼちぼちと。

実感


不思議なのですが、カルロが「もう傍にいない」と言う実感がまだあまりありません。
一昨日、葬儀をして火葬してきたのでもう遺骨になってますからカルロの肉体は当たり前ですが、家のどこを探してもありません。
でも一昨日の朝までは弟の部屋で安らかな寝顔で横になっていました。
その顔があまりに眠っているだけだと錯覚するほど安らかなので、ホントに実感がありませんでした。
今は遺骨になって私の部屋で落ち着いてますがそれでも何か妙な感覚です。
正直、カルロが亡くなった時にすぐに思ったのが「これでカルちゃん(普段はこう呼んでいる)はもう苦しまなくて済む」だったのです。
病院に一日預かりを頼んだ金曜日の朝方(金曜未明)からずっと苦しかったのか鳴いていて私がずっと傍にいても時々、悲鳴のような鳴き方をしていました。
その度にカルロの口元に手を持って行ったり、頭を撫で続けたりしました。
老犬特有の鼻が小さくなって鼻呼吸が出来にくくなると言う症状にも見舞われていたので鼻での呼吸も上手く出来なくなっていたので鼻の中の掃除もしました。
(そうすればいくらか楽に呼吸が出来るようになると先生に言われていたので)
でもの時にカルロが前足をバタバタさせたんです。
まるで「姉ちゃん、苦しいよ。助けて」と言ってるようでした。
足を動かす気力も無いはずのカルロが辛そうに…でした。
私はあのカルロを見ていたせいか、危篤状態になり先生が救命処置をしていたのをぼんやり見ていた時も悲しみや辛さよりも「早く楽になりな」でした。
なので先生が「力及ばず申し訳ありませんでした」と仰った時も悲しみよりも先に「これで苦しまずに済む」と言う安堵感に似た気持ちが私の中に広まりました。
あまり犬を飼ったことの無い人や逆に犬好きの人からすれば冷たいやつと思われるでしょう。
自分でも「冷たいやつ」と思い、金曜日の夜は「これで良かったのか、悪かったのか」で自問自答してました。
私から見れば「苦しまずに済んだ」と思っていてもカルロはもっと生きたかったかもしれない、いや生きていたかった。
そう思うと「これで苦しまずに済んだ」なんて感情で割り切ろうとしてる自分はホントに冷血で嫌なやつだと思いました。
自己嫌悪で吐き気までもよおしました。
今でもどう思うのが正しいのかわかりません。
カルロにとって私は良き相棒だったのかと考えると眠れません。
家では私が主にムチ役で弟や母はアメ役でした。
カルロにしてみればムチ役で怒ったりしていた私はさぞかし嫌なヤツに写ったことだろうと思うし、怒ってゴメンねと言いたい。
時が解決してくれるのかも知れないですが、私には答えがでそうにないです。


続きは葬儀の写真なので見たくない方は回れ右して下さい。載せるのはカルロが生きていた証しを立てたいからです。