カルロと暮らした日々

14歳で旅立った家族カルロのことをぼちぼちと。

今だったら…


昨日、伯父のところで亡くなった祖父母のことや母の戦時中の話しを聞きました。
幸い、母も伯父も祖父母も焼け出されたりはしましたが、家族四人、無事に終戦
迎えたと聞いてホッとしました。
けれど、母も伯父も友達が何人か戦争の犠牲になっていると言うのを聞いて悲しくなりました。
祖母は脊椎カリエスを患っていたので逃げ出す時は祖父がリヤカーに乗せて荷物と一緒に
戦火の中を防空壕まで走ったと聞いて改めて祖父のことを「すごい人だったなぁ」って
思いました。
母はその時、静岡に疎開していました。伯父はこちらに残っていて後々、家族で静岡に
疎開したそうです。
祖父は祖母が脊椎カリエスと言うことで召集令状は来なくて戦争には参戦していないのですが、
それでも兵器工場で働いたりして大変だったそうです。
私も母から生前、戦時中の話しは聞いていましたが、伯父から聞いた話しはまた別の一面を
見たようでただただ、祖父がすごい人だったと言う感想を持ちました。
終戦して東京へ戻って、すぐにお茶屋さんを始めたそうです。
それにしても祖母が脊椎カリエスだったと言うのは初めて聞いて、今だったらネットやら色々な
手を突くして治療してもらえる病院をさがしたのになぁ…と思いました。
でも腰は曲がっていましたけど、料理も裁縫もすごく得意で私と弟の手元には祖母が作ってくれた
幼稚園で使ったお遊戯バックがまだ残っています。
今見ても縫い目はしっかりしているし、ミシンで縫ったみたいに正確なんです。
時々、箱から取り出しては写真を見て弟と祖父母の話しをしています。
本当に優しくて大好きなおじいちゃんとおばあちゃんでした。
今頃は天国で兄と母、それにカルロと仲良く暮らしているのかな?と思うとちょっと安心しています。
多分、カリエスも治っているでしょうし。



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