カルロと暮らした日々

14歳で旅立った家族カルロのことをぼちぼちと。

重い話なので…


書くべきか書かざるべきか悩んだのですが、書いてスッキリしたいと言うのもありまして
書いてしまいます。但し、こう言う話し嫌いな方やひどいと思う方もいらっしゃると思うので
畳みますから、読むのは自己責任でお願いします。一人の家族の重くて暗い話しですし、読んでいて
かなり不快に思う方もいらっしゃると思います。なので重ねて書きますが、読むのは自己責任で
お願いします。申し訳有りませんが、苦情などは受付ません。私達は自業自得だと思ってますから。




実はこのブログには全然出て来てないのですが、一応うちには父がいます。
当然、同居もしています。
でも母が健在の頃から私と弟は父とは険悪な仲でした。
父は元々の気性が荒く、自己中心的な性格で自営業をやっていた(現在は廃業)のでとにかく
人付き合いが下手と言うか苦手です。
そこを母がフォローして何とか家族としてやってきた感じでした。
私も弟も年頃になってお互い、結婚を考えた時期もありました。
でも父のことを思うとどうしても相手に言えなくて別れたこともありましたし、言って断られたことも
ありました。そう言う訳で私達姉弟は独身でいることを選んだんです。
勿論、私は弟には「好きな人がいたら結婚して良いから」とは言っていました。逆に弟も私に同じことを
言ってくれました。
でもあの気性の荒い自己中な父と母を二人きりにさせるわけにいかないなぁ…と思いこの歳まで独身でいました。
そのこと自体はもう歳も歳だし、悔いはないんです。
その分、母へ精一杯自分たちの出来る範囲で親孝行したと思ってますし。あんな形で母は亡くなりましたが。
ただ、父との同居を考えるともう限界なんです。
父は母が亡くなる前から仕事が入るとして、無いと寝てばかりの生活と言うのをしてきました。
(私達姉弟が子供の頃は毎日仕事はしてましたが、8年ほど前に一部を除いて廃業したのです)
それが母が亡くなり、本格的に仕事を廃業すると一日中寝てばかりです。
大げさじゃなく本当にそうなんです。雨戸も開けずに一日中万年床で寝ていて昼近くになると起きてきて
パンを食べてしばらくするとまた寝てしまう。
そんな生活を母が亡くなってからずっとしています。
数十年前に鬱病を患ってますから、辛いのはわかるのですが、一日中寝てると言うのはどうにも理解出来ないんです。
半年間私も我慢しました。でもますますひどくなっていく父を見て、私も重い腰をあげてケアマネさんに相談しました。
で、介護保険制度と言うのがあるのでそれを申請してはどうかと言われ、その日にすぐに申請しました。
程なくして区から福祉課の方が父の様子を見に来ましたが、見栄っ張りで外面の良い父なので福祉課の人の前では
ちゃんとした生活を送ってるようなことを平気で言ってました。
私は帰りがけの福祉課の人に「父が言ったことは全てウソです」と伝えましたが。
で、区からかかりつけの病院に意見書と言うのが送られて、それに医師が記入をして父を見た福祉課の人と専門の医師や
ケアマネで要介護度が決まるらしいですね。
それが早くて今月末、遅くても来月の頭にはわかると言うのでその結果を待って父を施設に入れようと思ってます。
このままの怠惰な生活をしていれば遅かれ早かれ寝たきりになるのは櫛状、そうなったら私達姉弟だけじゃとても面倒を
見られません。
冷たいようですが、母が亡くなった今、もう父と同居する意味がないんです。
元々嫌いでしたし、子供の頃から父に可愛がられたと言う記憶もほとんどないんです。
父は今じゃ昔のことはすっかり忘れていて「俺はお前らを怒鳴ったことなんて一度だってない」とか「お母さんを怒鳴りつけた
ことなんてない」って言ってますが、これも嘘なんです。
もう散々、暴言や時には暴力も振るわれました。
父が施設に入るのを拒むようでしたら、私達姉弟がこの家を出て行くしかありません。
世間じゃ「呆けた親の面倒は子供が見るべし」との風潮が高いですが、それもケースバイケースです。
私の家の父じゃそれは出来ないことです。
言葉の暴力って時には刃物で切られたよりも辛いものです。
私は今でも小中高と言われたことを覚えています。辛いし、悔しいです。
父が大事なの「金」と「自分」だけなんです。もうそんな父に愛想が尽きました。
母の葬儀代は全て弟が出しました。請求書を見せた途端に顔色が変わって出す気がないのが手に取るように
わかったからです。その後の四十九日の法要も今ある霊園に埋葬したと嘘をつき、檀家さんのお寺に全て事情を話して
母の遺骨を預かって頂いたんです。母も生前、今ある墓に入りたくないようなことを言ってましたし、私達姉弟
先に入ってる兄の遺骨を改葬と言う形で出してもらって新たに買ったお墓に埋葬しようと考えてましたから。
父は母が亡くなった時も翌日から平気で食事してましたし、カルロが亡くなった時もそうでした。
私達姉弟は母が亡くなった時、二週間ほどまともに食事が摂れませんでした。それほどショックでした。
カルロの時も母を含めて姉弟三人はやはりカルロを失ったショックで食事が摂れない期間がありました。
カルロは亡くなる5日前に寝たきりになりましたが、その時に母に父は「あの犬、早くくたばればいいのにな」と
言ったそうです。本人は今になって全否定してますが、母が嘘を言うわけないので本当のことでしょう。
カルロの遺骨を粉骨したのも実は父が「家に遺骨が置いてあるなんて不吉で気持ち悪い」と言ったからなんです。
で、仕方なく粉骨してくれるところを探して持って行ってやってもらったんです。
カルロには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
区の福祉課の結果がどんな結果が出てももう同居は無理です。父がいるのでどうしても仕事の時間制限がついてしまい
アルバイトやパートでも決まらないんです。求めているのは「フルタイム働ける人だから」と言われてしまい。
父には結果が出たら「施設に行くか」「この家でヘルパーさんとケアマネさんの世話になって暮らすか」2つに一つしか
選択肢がないことを伝えます。父の様子を見ると福祉課の人が様子を見に来て終わりだと思ってるようですが、
世の中そんなに甘くありません。父は自分の親の介護も母に押し付けたんです。だからそれも因果報応なのかなって思ってます。
おそらく私達が近く出て行くことになるでしょう。マンションも既に契約してあって少しずつですが、荷物も運んでいます。
これが今まで父が一切ブログに登場しなかった理由です。
重いし暗い話しですみません。