カルロと暮らした日々

14歳で旅立った家族カルロのことをぼちぼちと。

明日は1周忌法要


明日は母の1周忌の法要です。納骨の時に続いて両国陵苑さんでさせていただきます。
時間が午後の1時半からなので、法要が終わってから会食をして住職さまにも食べて
いただこうかと思っています。
でも1周忌まで本当に早かったです。もうアッと言う間に一年経ってしまったと言う感じです。
1月に亡くなってそれから4月くらいまでは毎日毎日泣いてました。
遺影を見て泣いて、分骨して頂いたお骨を見て泣いて、アルバムを見て泣いて…と泣きっぱなしでした。
以前にも書きましたが、母は入浴中に心臓発作を起こして亡くなったのですが、搬送された病院がもう
最悪でした。救急車の中で受け入れてくれる病院を救急隊の人が探していて、もう一人の救急隊の方は
汗だくになって母に心臓マッサージをずっとしてくれていたんです。
20分ほど経ってやっと病院が見つかって向かったわけですが、病院での蘇生処置はわずか10分か15分
くらいでした。
しかも当直医が言った言葉が未だに頭を離れません。
「もう諦めて下さい。心肺停止してから20分以上経っているし、紫斑も出ているのでもう蘇生は無理です」
こう言われたんです。言われた瞬間は頭の中が真っ白で悲しいとか涙が出るとか全く無かったです。
ただ、当直医のあまりに事務的な言い方に憤りを感じましたね。
カルロを看取って下さった先生はカルロが息を引き取った時に私達に向かって深々と頭を下げて
「お力になれず申し訳ありませんでした」と言って下さったんです。
それなのにこの当直医、そんな事一言も言いませんでしたからね。
しかも「家での死亡なので警察の監査が入るのであとは警察の方とお話しして下さい」とだけ告げて
さっさと当直室に入ってしまいましたからね。
あの当直医の言葉は家族を失った人への言葉とは思えません。
一年経った今でも思いだして頭に来ます。
そして警察の人が来て色々と聞かれて、母の遺体は検死にかけられると言うので警察署に運ばれて行きました。
翌日の夕方までに棺を用意して欲しいとのことでしたので、朝起きてからすぐにインターネットで色々と
検索をしてやっと探し当てた葬儀社に事情を話して全て取り仕切ってもらいました。
勿論、この間は父は何もしないでただぼーっとしていただけでした。
通夜・葬儀が終わっても私達姉弟に労いの言葉すら無かったですからね。
週明けに母の訃報を聞いた近所の人が見えてもろくに挨拶も出来ず、全て私がやりました。
おまけに請け負っていた仕事まで辞めてしまって、相手の社長さんを怒らせる始末…。
その尻拭いも私と弟でやりました。
そんな父を見て母はどう思っていたんでしょうかね。
「◯◯(私の事)と◯◯(弟の事)に面倒かけてしようがないね」ってさぞ呆れてることでしょうね。
それからは以前に書いた通りの暮らしになりました。
そして現在に至るわけです。
明日の一周忌法要、お天気が良いといいなぁって思ってます。室内墓苑ですが、やっぱり雨は嫌ですから。


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